終演はいつも突然に
森光子さんに、中村勘三郎さん…
一時代を築いた偉大な方々の訃報が続きます。
メディアで慣れ親しんだ有名人が亡くなってしまうのは、やはり悲しいものですよね。
私が学生時代にほぼ毎月購読していた雑誌に「アリーナ37℃」がありました。
確か、今も刊行されているはずですが…
私が愛読していた頃のアリーナ37℃は、アルフィーやハウンドドッグが特集されていたかと思えばルースターズやザ・モッズなどのめんたいロックが取り上げられてたり、ラウドネスなどのヘビィメタルのページがあったりで、なかなかカオスな誌面構成をしていました。
その中で人気を集めていたのが「ニューロマンティック路線」。
すなわち今のV系の元祖になった、耽美的ルックスのアーティスト。
先日放送されていた深イイ話に出演されていた本田恭章さんが代表格ですが、もう一人、似た系統で女性ファンからの支持が絶大だったアーティストがいました。
中川勝彦。
通称、勝っちゃん。

当時は私自身が直接ファンだったというより、周囲の友達の方が熱狂していて、その影響を受けてのファンだった感じです。
それでも誌面を飾る勝っちゃんの写真を見るたび、
「なんて綺麗な人なんだろう…」
と、いつも惚れ惚れしていました。
偶然にも私の誕生日が勝っちゃんと同じで、それが友達の間で自慢だったりもして。
そんな勝っちゃんが、ある時を境にメディアへの露出がパタリとなくなりました。
その理由が、程なくわかりました。
勝っちゃんは、骨髄性白血病を患っていたのです。
ニュース番組「きょうの出来事」で、闘病の様子が放映されました。
その中で、骨髄移植を受けて回復を目指しているという報告もあったのですが…
1994年9月17日、享年32歳。
勝っちゃんは帰らぬ人になりました。
どんなに生へ執着する人であっても、どんなに周囲から愛される人であっても。
情け容赦なく、あっさりと病魔は命を奪い去って行く。
残酷な現実を、当時の私は突き付けられました。
勝っちゃんの遺した忘れ形見が今、元気にテレビで活躍しているのを見るにつけ、微笑ましい気持ちと青春時代の甘酸っぱい気持ちが交錯します。
そう、御存知しょこたんこと、中川翔子さんです。
しょこたんの活躍を、きっと勝っちゃんも嬉しく見守っている事でしょう。
一時代を築いた偉大な方々の訃報が続きます。
メディアで慣れ親しんだ有名人が亡くなってしまうのは、やはり悲しいものですよね。
私が学生時代にほぼ毎月購読していた雑誌に「アリーナ37℃」がありました。
確か、今も刊行されているはずですが…
私が愛読していた頃のアリーナ37℃は、アルフィーやハウンドドッグが特集されていたかと思えばルースターズやザ・モッズなどのめんたいロックが取り上げられてたり、ラウドネスなどのヘビィメタルのページがあったりで、なかなかカオスな誌面構成をしていました。
その中で人気を集めていたのが「ニューロマンティック路線」。
すなわち今のV系の元祖になった、耽美的ルックスのアーティスト。
先日放送されていた深イイ話に出演されていた本田恭章さんが代表格ですが、もう一人、似た系統で女性ファンからの支持が絶大だったアーティストがいました。
中川勝彦。
通称、勝っちゃん。

当時は私自身が直接ファンだったというより、周囲の友達の方が熱狂していて、その影響を受けてのファンだった感じです。
それでも誌面を飾る勝っちゃんの写真を見るたび、
「なんて綺麗な人なんだろう…」
と、いつも惚れ惚れしていました。
偶然にも私の誕生日が勝っちゃんと同じで、それが友達の間で自慢だったりもして。
そんな勝っちゃんが、ある時を境にメディアへの露出がパタリとなくなりました。
その理由が、程なくわかりました。
勝っちゃんは、骨髄性白血病を患っていたのです。
ニュース番組「きょうの出来事」で、闘病の様子が放映されました。
その中で、骨髄移植を受けて回復を目指しているという報告もあったのですが…
1994年9月17日、享年32歳。
勝っちゃんは帰らぬ人になりました。
どんなに生へ執着する人であっても、どんなに周囲から愛される人であっても。
情け容赦なく、あっさりと病魔は命を奪い去って行く。
残酷な現実を、当時の私は突き付けられました。
勝っちゃんの遺した忘れ形見が今、元気にテレビで活躍しているのを見るにつけ、微笑ましい気持ちと青春時代の甘酸っぱい気持ちが交錯します。
そう、御存知しょこたんこと、中川翔子さんです。
しょこたんの活躍を、きっと勝っちゃんも嬉しく見守っている事でしょう。
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