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神経を研ぎ澄ます



こちらの画像。
ツイッターで拡散されて、今話題となっているそうです。




この問題が解ければ東大も夢じゃない!なんて言われているようですが。




皆さん、解けました?




わかってしまえば「なぁんだ(笑)」って問題なんですけどね。
小学生レベルの。




世の中にあふれる様々なトラブルや障害。
それらに出くわし、巻き込まれ、そういった問題の“当事者”になってしまった時に、一体何が我が身を救うのか。




今まで蓄えて来た知識や経験則で対処出来ればそれに越した事はないのですが、そんなものが役に立たないケースが往々にして存在します。
考えても考えても答えが出ない。
八方塞がりでどうにもならない。
そんな事態を打破するのが…




そう“ひらめき”です。




発明王エジソンの名言として語り継がれている、
「天才は99%の努力と1%のひらめき」
という言葉も、本来は
「1%のひらめきがなければ99%の努力も無駄になる」
という意味なのだとか。




もちろん、この“ひらめき”は単なる思い付きではありません。
偏見や先入観や感情や個人的な願望から頭を開放して全くのクリアな状態になった時に、今まで有り得なかった頭の使い方が出来るようになる。
その産物が“ひらめき”です。





例えるなら人間の脳の新たな領域を開拓して仮想メモリが得られ、新たな機能の獲得が可能になったとも言えるでしょうか。




やるべき事をコツコツとこなして行くのは、そりゃ大切です。
でも。
それをこなして行く事で何を得るのか…
それを何故こなす必要があるのか…
それをこなして行ったら、次は何をするべきか…
そこを考えもせず、ただ真面目にやりこなす事しか頭にない人。
つまり“応用力”のない人は、残酷なようですが、それまでの人なんじゃないでしょうか。
そんな人は“ひらめき”とは無縁ですから。




ところで。
ごく一般的な人が占いというものを思い浮かべる時、その多くは霊感だの超能力だの、超常的な能力を持つ人間しか出来ないものだと考える人も恐らく多かろうと思います。




もちろん実際は、そんな大層なものじゃありません。
大多数の占い師は、ごく普通の人間です。
占いという技術を有しているか、いないか。
ただ、それだけの事です。




それでも占いという技術を使いこなすにあたって、他の人とは違った頭の使い方をしなければならないのは確かです。




そう、より多くの“ひらめき”を得なければ仕事にならない。




そのためには日々、鍛錬です。
どんな風にでも応用の利く思考力を得るためには、もっと頭をクリアにして、神経を研ぎ澄まさなければ。




これを読んで下さっている皆さんも、もし興味を持たれたら、占いを学んでみられてはいかがでしょうか。
普段使っていない頭の領域を開拓するにはうってつけの知的遊戯になるんじゃないかと思います。




さて。
最初に紹介した画像の答えですが。




正解は100㎝²。
ちょっとした“ひらめき”があれば簡単ですよね。
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“自分の適職が知りたい”




占いに来られるお客様から多く投げ掛けられる質問のひとつです。




その人がどういう仕事に向いているか。
一見、簡単に答を導き出せそうな問題のようにも思えますが、これがなかなか一筋縄ではいきません。




向き不向き以前に、その人が仕事によって何を得たいのか。
お金を得るのが目的と、一概には片付けられません。
社会的名声を求める人、職場での仲間作りを目的と考える人、それぞれの優先順位があるものです。




それと、もうひとつ。
どういう自分を、周囲に認めてもらいたいのか。




心理学用語でいうところの、いわゆる「承認欲求」というやつです。
適職というものを考えて行く上で、ここが最大の難所と言えるかも知れません。




得意分野の仕事をこなして正当に評価を得る。
これだけで満足出来ない人もおられます。
本来不得手な仕事に携わっていて、周囲から見てもその人がその仕事に悪戦苦闘しているのは充分に伝わって来る。
でも、当の本人はそんな状況に満足している。
“悪戦苦闘している自分”を周囲にアピール出来ていればいい。
そういうケースも存在するのです。




この承認欲求というものは時として、非常に厄介です。
自分という人間が存在する事を周囲に知ってもらわなければ、人は生きて行けない。
極論になりますが、人間とはそういう生き物です。
けれど、それだけでは済まない事がある。
自分自身がイメージする“自分像”を周囲に認めてもらいたい。
自分自身が望む“自分像”以外の自分を認めてもらえても何の意味もない。
承認欲求が肥大してしまうと、そんなところまで行き着いたりもするのです。




承認欲求の肥大や歪みは自分では気付きにくいものです。
“ほんとうの自分”を追求するあまりに訳がわからなくなって、自分そのものを認めてもらうのではなく、
「こんなに健気に自分をみつめて来た自分の頑張り」
を認めてもらう方に気持ちがシフトしてしまっていたり。




そうなると、
「“ほんとうの自分”を一番理解出来ていないのは他ならぬ自分自身だった」
なんて事にもなりかねません。




自分が考えている以上に自分の存在は周囲にきちんと認識されているし、理解されてもいるものです。
その辺を誤解して、周囲に対して頑張り過ぎていたり肩肘張っていたりする人を見ると、もったいないなぁと思います。




“こう見られたい自分”というものを一度捨ててみると、意外とすぐそばに幸せが転がっているのかも知れませんね。

承認欲求 - Wikipedia