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それが私のすてきなゆめ

もしも生まれ変わったら。




私は千原せいじになりたい。




冗談で言っている訳ではないのです。
結構、本気なんです。




だって考えてもみて下さい。
ずば抜けた社交性。
赤の他人に対しての距離感の無さ。
人の懐にあそこまでズカズカと土足で踏み込んで行くデリカシーの無さ。
これだけの要素を兼ね備えていれば、対人関係において最強じゃないですか。




かつてオダギリジョーが千原ジュニアに、
「僕はせいじさんに憧れている。せいじさんは僕にないものをたくさん持っている」
と言ったところ、
「逆や!あいつが持ってないものを君が持ってるんや!」
と返したエピソードがありますが、私自身、オダギリジョーに心の底から賛同したい気持ちです。
そしてきっと、私以外にもオダギリジョーに賛同したい方々は多いのではないでしょうか。




そんな千原せいじを、ぜひとも西洋占星術で分析してみたい!




では、さっそく見てみましょう。




1970年1月25日生まれの千原せいじ。
太陽と金星が水瓶座、しかもぴったり同じ位置にあります。
“合”の座相です。




太陽と金星の合は、目上の人から引き立てられる・可愛がられる要素、すなわち“パトロン運”を持っていると言われます。
この“パトロン運”を持っているから人に対して物怖じしないのか、それとも物怖じしない神経の太さゆえ人を惹きつけるのか。




月の星座は、出生時間が不明なため判断の付け難いところではありますが、恐らく獅子座ではなかろうか。
人に対してのあのオープンさは、とても乙女座だとは考えにくい。




そして、ここからが千原せいじという人間の本質を最も現していると私なりに考えたポイントです。




それは、火星の位置。
ホロスコープをひとつの円とし、牡羊座の0度からを始まりとすると、終点は359度。
つまり、魚座の29度です。
千原せいじのホロスコープにおける火星の位置は、この魚座29度にあります。




ホロスコープの出発点は、人間の自我の出発点。
そこから十二星座のひとつひとつを通過して、エゴや対人関係、社会性などのさまざまな属性を獲得します。
そうして最終的にたどり着くのが魚座。
魚座は、トランスパーソナルの領域を表す星座です。
牡羊座で芽生えた自我が、魚座に到達して“無”の中へ帰って行くのです。
そこは自分も他人も関係ない、個人のエゴを超越してしまったカオスな世界です。




そんな魚座の終着点に、他者への攻撃性や活動の方向性を司る惑星・火星がやって来るとどうなるか?




損得勘定や、他人に対しての自分自身の優位性などまるで関係ない、思い付くままの本能的な行動力が発揮されるのではないでしょうか。




人が人に対して行動を起こす際、自分の中のエゴが強ければ強いほど、相手に対しての行動は“意図的”になります。
良くも悪くも。
つまり、目の前の相手が自分の事をどう思っているのか、これから自分が取る行動をどう評価するのか、どうしたって気にしてしまうのです。
ところが、エゴを超越した人間はもはやそういう事には煩わされません。
純粋に、何の計算も何の抵抗もなく思ったままの行動を取るのです。




千原せいじという人は、そういう属性を持った人間である。
それが私の見解です。
エゴにとらわれて人の目を気にして自意識過剰になってしまう、そんな私のようなチンケな人間が、彼のような壮大なスケールの人間にかなうはずなどありません。




ところで。
ここで改めてはっきりさせて置きたいのですが、私はタレントとしての千原せいじのファンという訳ではありません。
人間が生きて行くための指針として、何か良いサンプルはないかと探していたところ、たまたま彼に行き着いたというだけの話なのです。




もう少しわかりやすく説明するために、最近流行りの漫画で例えると…




“巨人に捕食される恐怖から開放されるために、巨人を駆逐するのではなく自らが巨人になるという選択肢”




という話です。




余計わかりにくくなったかも知れないですね…(笑)
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追憶のアンダーグラウンド

もう、こんな季節なんですね。
行って参りました。






そう、博多三大祭のひとつに数えられる、筥崎宮の放生会です。






本殿への参拝を済ませて、出店巡り。
まだ日中は残暑厳しく、歩いていると冷たいものが欲しくなります。




トルコアイスも美味しそうだったのですが、出店のお兄ちゃんとのやり取りが面倒臭そうだったのでかき氷の方をチョイス。
冷たいかき氷を頂きながら足を進めて行った先に…。




お目当ての場所にたどり着きました。




昔懐かし、見世物小屋。






でも、何だろう。
そこはかとなく感じる、この違和感。






もっとはっきり言ってしまうと、
「子供の頃の見世物小屋の雰囲気と違う!」




写真では今ひとつ伝わりにくいかと思われますが。
何というか。
ものすごーーく“サブカルテイスト”なんです。




私達が子供の頃の見世物小屋。
異形な容姿を持って生まれてしまったり、不具になってしまったりした人達の、ある意味救済の場。
何不自由ない社会生活を送れていられる人達に“異界”を見せる娯楽として、見世物小屋はそれなりにうまく機能していました。




ところが、時代は進み。
福祉の発展やメディアによるモラルの徹底で、見世物小屋の人々は
“いない事になってしまった人々”
になりました。




それが良い事なのか悪い事なのかはわかりません。
ただひとつ言える事は、昭和の時代に人気を博した見世物小屋は経営が立ち行かなくなり、次々と廃業に追い込まれて行ったという事実。




かつての見世物小屋での“モノホン”の芸人達は次々と引退し、現在活躍しているのは「ゴキブリコンビナート」という演劇集団の面々のようです。
かつて異形の人々が生きて行くために編み出した渾身の芸を、次世代の彼らが“文化”として継承して行こうという事なのでしょう。




“サブカルテイスト”の正体も、たぶんそこにあるのだと思われます。




さて、いよいよ開演。
探検隊ルックに身を包んだ、2700八十島氏似のMCの方が登場し、見世物小屋鑑賞の際のルールをレクチャー。
写真撮影はOKだけど動画撮影はNGだよ、などなど。




で、一応写真撮影を試みてはみたものの、場所と私の腕が悪いせいで以下の写真が不鮮明になってしまった件を御了承下さい。




最初にお目見えしたのは火喰いギャル・アマゾネスピョン子ちゃん。






彼女の技は、江戸時代から受け継がれて来た伝統の芸なのだとか。
液体化した蝋を口に含んで吹き付ける火炎放射の大技は、残念ながらカメラに収め損ねました。
でも、見事な芸。
これぞプロフェッショナル。




続いては。
メコン川流域に棲息する、ワキの処理も完璧な首狩り族。






ひと暴れしたあと、ドライアイスを頬張って退場。




次に現れた、謎の中国人。
何と、頬に長い串を突き刺した状態での登場です。






その串にロープを引っ掛け、コンクリブロックの乗った台車を手を使わず引っ張る荒業。




この方はゴキブリコンビナートの舞台で、他の劇団員と3人で頬を串に刺して連なる「だんご三兄弟」というパフォーマンスをされる方。
後で検索してみたら、その「だんご三兄弟」の画像が嫌というほど出て来ました。




そして大トリ。
狼女の登場です。






彼女のエサは、生きたニワトリ!
外にあった鳥籠の中に、さっきまで入っていたニワトリです。






ニワトリの首に喰らい付く狼女!
したたる鮮血!
場内に巻き起こる悲鳴!






完全に首を落としてしまっても、まだ体はバタバタ動くもんなんですね。
ニワトリって。




以上で本日の出し物は終了。
怯えまくる女性客に向けての、MCの方の言葉がまた感慨深い。
「ニワトリの屠殺って、これが現実ですからね皆さん」
そして、
「ニワトリはスタッフが後で美味しく頂きます」
との事(笑)




普段の私達、すなわち占い師というものは、お越し頂くお客様に取っては非日常の側にいる人間です。
このゴディスも、そんなお客様に取っての“異界”。
お客様に非日常的時間と空間を提供して、日常の悩みから少しでも解き放たれるお手伝いをするのが我々占い師の役目。




そういった意味では、見世物小屋のプロフェッショナル達と私達とは、きっと相通ずる部分があります。




でも今回は、私自身が非日常的時間と空間をたっぷり堪能出来て実に満足。
たった700円のお代でリフレッシュさせて頂きました。




でも…。
そもそも放生会って、狩られたり屠殺されたりした生き物を供養するお祭りだったよな…?




ま、細かい事はいいか(笑)

明日は最高の日

何という事でしょう。




明日は、13日の金曜日!
しかも、仏滅!




フルコンボですね。




あまりに不吉な事が揃うと、相殺されて吉に転じるような気がするのは私だけでしょうか。




13日の金曜日で思い出しましたが。
昔は、それこそ13日の金曜日の日には、例のジェイソンのシリーズが必ずと言っていいほど放送されていたものでした。
本当に今はホラー映画やスプラッター映画をテレビでやらなくなりましたね。




最後の最後まで目を離せない、スティーブン・キング原作の「キャリー」。
“決してひとりでは見ないで下さい”というキャッチコピーで有名な「サスペリア」。
オバタリアンという流行語の元ネタになった「バタリアン」。
ジェイソンと並ぶ人気キャラクター、フレディを生み出した「エルム街の悪夢」。




このような数々の人気作品が、ゴールデンタイムのお茶の間で楽しめていたのです。




そんな数あるホラー映画の中で私自身の思い入れの度合いから測れば、ぜひおすすめしたいのが「ブレインデッド」。






ジャンルとしてはゾンビ物にカテゴライズされる、1993年の作品です。




どんな内容はここではあえて説明しない事にします。
せめて何か言う事があるとすれば…。




映画というものを観て、あそこまで腹を抱えて笑い転げた事はない!




とにかく、あれほど人を幸せな気持ちにさせるスプラッター映画を私は他に知りません。
嫌な事、辛い事があった日にはこれを観て、明日への活力にしたくなるのです。




恐らくこれを読まれた方々の大半は、私が何を言っているのかきっと理解に苦しまれる事でしょう。
でも、騙されたと思ってこの作品を観て頂いて、ぜひともこの思いを分かち合いたい。




もう少しだけ内容に言及するなら、これは若者が大人になって行くために避けては通れない通過儀礼がテーマの物語です。
しかし、そんなテーマなどもうどうでもいいのです。
心底くだらない事が怒涛のように押し寄せるから、観客はそれをただただ見ているしかないのです。




“こんなちっぽけな事で悩んでいたのが馬鹿馬鹿しい”
と、感じる経験は誰にでもあると思いますが、そんな思いを望もうが望むまいが有無を言わさず強制的に味わわせてくれるのがこの映画なのです。




明日を最高の日にするためには、まずはその日の悩み事を次の日に持ち越さない事。
この、最高にイカれた映画で脳を強制終了させて、最高の明日を迎えて頂きたいと思います。




ちなみに、この「ブレインデッド」の監督はピーター・ジャクソン。




そう。
あの「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズで有名な、世界的名匠です。

面白くもないし つまらなくもない

待望の9月です。




台風と共にやって来た、秋雨前線という名の天使が福岡にも舞い降りて、あの悪夢のような灼熱地獄からようやく我々は開放されました。




しかし、優しい天使の顔もいつ鬼に変貌するかはわかりません。
それが自然の脅威というものです。
ここ数日の間の、関東地方での竜巻の被害。
本当に驚かされます。
竜巻というと、アメリカやオーストラリアなどの広大な土地で起こるような災害を想像しがちだったのですが。
これからは、そんな甘い考えは通用しないのでしょう。




いつ何時、突然の災害に見舞われるかも知れない可能性というものを、私達は心しておかないといけませんね。




話は変わって。




地獄の熱波にさらされてヘトヘトになった体に、ここ数日の秋風のなんと心地良く爽やかな事か。




この涼しさに身を委ねていると、小難しい事など何も考えずにぼーっとしていたくなります。




そう、頭を使うのが面倒臭いのですよ。




喜怒哀楽の感情を激しく揺さぶられるような娯楽も、正直面倒臭い。
小説とか、映画とか、果ては漫画に至るまで。




あまり頭を使わずに見ていられるものを、ダラダラと眺めているのが心地良い。
テレビで垂れ流されている、さほど中味もなく面白い訳でもないバラエティ番組。
あれくらいがちょうど良い。




感動やら大爆笑やらは求めてないから、とりあえずぼんやりと時間を過ごしたい。




今はただ、いろんな事が面倒臭い。




いや。
ちょっと待てよ。




この感情の鈍化、感受性の消失。
これってもしかすると、鬱病の前兆なのかも?




だとすれば危険です!
早急にリフレッシュを図らねばなりません。




こんな言葉をネットで見つけました。




“「面倒臭い」は、狂気のスイッチ”