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コールドリーディング

まずは、こちらをお読み頂きたいと思います。

暇人\(^o^)/速報 : 占い師やってるけど何か質問ある?




これを読んだ多くの方々は「あぁ、やっぱり占いなんてインチキなんだな」と思われる事でしょう。




しかし、今現在占い業界に身を置いて日銭を稼がせて貰っている私からすると、この回答者が言っている事、不思議な点だらけだったりするんですね。




この回答者は占いをまともに学んだ経験はなく、他の占い師達もほぼ同じようなものだと断言しています。
この点がまずおかしい。




占いをきちんと学んで占い業に勤しむ占い師が全国にどれくらいいるか。




掃いて捨てるくらいいます(笑)




占いは、勉強すれば誰でも習得出来るものです。
確かに簡単ではありませんし、勉強するほどに奥深さ、深遠さを実感させられるものではありますが、この回答者が言うように特別な人間だけが身に付けられるものなどではありません。
特殊能力なんて御大層なものではなく、あくまで技術、学問ですから。




2ちゃんねるにも「占術理論実践」という、東西の占いの情報交換や意見交換のための掲示板が存在しますし、個人で占いを研究されている方のホームページもたくさんあります。
大型書店に行けば昔から専門書が置いてありますし、占いに必要なツールも今はネットで検索すれば、簡単に入手方法にたどり着けます。
占いを学ぶスクールだってあります。




当然、向き不向きはあります。
水泳の上手い人下手な人、お絵描きの上手い人下手な人がいるように。




確実に言えるのは、全国に掃いて捨てるほどいる数多の占い師は、そうやって占いを学んで人より上達して、これを生業に食って行こうと決めた人達です。




この回答者が占いそのものを学ぶような環境におらず、さらに占いは普通の人間にも習得出来るものだと知らずに占いモドキの活動をしてしているのなら、その環境は相当に胡散臭いところなような気がします。
「占いは基本インチキ」と信じ込まされた上で、この回答者がそれに疑問も持たずに今も活動出来ていれば良いですが、そんな環境にいる事でもしかしたらこの回答者自身にも何らかの身の危険がある、もしくはあったかも知れません。




さらに。
この回答者は「占いはみんなコールドリーディングだけで成り立つ」と豪語していますが…

コールド・リーディング - Wikipedia




自分の主張を相手に理解してもらうためには、確かにコールドリーディングの技術は大きな武器になります。
お恥ずかしい話ですが、私は占い師の仕事を始めた時点でこのような話術の技法を全く知りませんでした。
正しく占ってそれをお客様に伝えさえすれば、誰もがまっすぐそれを理解してくれると考えていたのです。




もちろん、それは甘い考えでした。
そのうちに私自身も占い師としての経験を積むにつれ、自分の占断を理解してもらうためのお客様とのコミュニケーション術が不可欠である事を思い知らされました。




たぶん私も知らず知らずのうちにコールドリーディングを使ってお客様と対話しているのでしょう。
でも私の経験上、この技法がこの回答者が言うほど万能だとは思えません。
占いに頼らずにコールドリーディング“だけ”を使ってお客様に何かアドバイスをするのは、私には無理です。




コールドリーディングだけで相手の事を探ろうとすれば、相手に伝えられる事は結局は“当たり障りのない事”に終始してしまいます。
誰にでも当てはまるような事ばかりでなく、その人自身の本質的な性格やその人の置かれた個人的な状況を読むためには、私は“占い”の技術に頼らざるを得ないのです。
占い師なので。




コールドリーディングばかりに頼るあまり「あの占い師は当たり障りのない事しか言わない」などという評判を立てられたくはありません。




コールドリーディングに関する専門書は、書店のビジネス書のコーナーにも並んでおり、誰もが容易に入手可能です。
つまり、コールドリーディングもまた、誰にでも習得出来得る技術です。
誰にでも習得出来るからこそ「あの人はコールドリーディングを使って話をしてるな」とバレやすくもあるのです。




この回答者がコールドリーディングだけに頼って何年にも渡って占い師の活動を続けて行けるとは、とても思えません。
占いとは無関係な、誰にでも当てはまりそうな適当なアドバイスを何も考えず鵜呑みにしてくれる“良いカモ”なお客さんばかりに恵まれ続けているなんて、いくらなんでもラッキー過ぎます。




考えられる線としては、これは
「コールドリーディングとか、聞きかじった知識だけで占い師を装って2ちゃんねるにスレッドを立ててみたら、意外と食い付きが良かった」
という話のような気もします。




本当はそれが一番幸せな結末ですよね。
インチキ占い師を抱える占いの店も、占いは全てインチキだと吹き込まれて嬉々としてエセ占いをする奴も実はみーんな存在しませんでした。
めでたし、めでたし(笑)
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愛と云うのじゃないけれど

マツコ・デラックスをして「あたし、この歌大好き!」と言わしめた昭和の名曲。




“ざんげの値打ちもない”
不世出の作詞家、阿久悠の遺した数多ある作品のうちのひとつです。
オリジナルの歌手は北原ミレイ、彼女最大のヒット曲となりました。




この曲は、ある女が色恋に溺れて転落するさまを描いたひとつの物語です。
主人公の女は、歌の始まりではまだ14歳。
恋に恋する年頃です。




マツコ・デラックスは指摘します。
「この主人公は、最初は本気じゃなかったの」




その通り、最初は好奇心から相手の男に興味を持ったんです。
“私は抱かれてみたかった”と言って。




でも結局は“抱かれてみたい”という好奇心を満たしただけでは終わらない。




人間が自分自身の行動にブレーキを掛けられなくなる瞬間って、みんなこう思うんじゃないでしょうか。
「まだ歯止めが利くから大丈夫」と。




ギャンブルでも、ドラッグでも、危険な恋愛でも。
「これにのめり込んだらもう、自分では制御出来ないかも知れない」
と考えられる人は、深みに嵌まらずに済むのです。




“愛と云うのじゃないけれど”というフレーズは曲中、何度も繰り返されます。
“愛と云うのじゃないけれど”と繰り返し自分に言い聞かせる事で、主人公は自分が転落して行く現実に見て見ぬ振りが出来るのです。




愛と云うのじゃない、なんてのは単なる誤魔化しです。
それはもう“愛”なんです。




“愛”と自覚した時点で負けだから、認めたくなんかない。
でも“自覚したら負け”なんて発想になる時点で、既に負けてるんですよ。
たとえ相手を手玉に取ってるつもりでも“手玉に取ってる優越感”を手放せない段階で、もうその相手の思うツボなんです。

 


と、ここまで書いて来て、私自身もつくづく感じます。
「恋愛って、ほんと難しいもんだなぁ」と。




難しいなら難しいなりに、ありのままをさらけ出しつつストレートにぶつかって行く方がよっぽど幸せへの近道になるのでしょうね。
誤魔化したり、物わかりのいい振りをしたりせずに。

ざんげの値打ちもない(完全版) 北原ミレイ 歌詞情報 - 歌ネット Touch