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信じるために疑う

“どうでもいいくせに 作り上げるな
嘘を知りながら 操っている
マスコミさ マスコミさ”




これは、「ジャックス」というバンドが1969年に発表したアルバム「ジャックスの奇蹟」に収録された楽曲の一節です。
タイトルは「ロール・オーバー・ゆらの助」。




40年以上も昔の曲なのに、何なのでしょう。
このリアリティ。




まるで今の時代の、メディアスクラムの問題を歌っているかのような…。




恐らく、マスコミやメディアが抱える問題は、それらが発生した太古の昔から何ひとつ変わってはいないんじゃないでしょうか。




すなわち。
発信された情報には、発信した側の何らかの意図が込められていても何ら不思議ではない事。
それを受け止める我々は、発信された情報に何らかの意図が込められていないか常に意識しておくべきである事。




これは新聞やテレビのニュースに対してだけ、当てはまる話じゃないと思います。
ネット上に流布する情報…2ちゃんねるやツイッターで拡散される話題、それらのまとめサイトなどなど…。
今の時代だからこそ、ネットでの情報についての真偽が取り沙汰されますが、江戸時代であれば瓦版や、井戸端での噂話で伝わる情報についてもきっと同じような問題があったはずです。




発信された情報が自分に取って真実なのかどうか?
それをはっきりさせる手段があるなら…。




ひとつの見解に対する反論を探す。
一方から発せられた情報が、他方からも発せられていないか探す。
そんな感じで、発信元に偏りがないよう多角的に情報を入手して、自分なりの見解を確立させるしかないでしょう。




それは情報の海で溺れそうになる事を覚悟の上で、その荒波の中に自分の身を放り込むようなものかも知れません。
けれど、そんな荒波を上手に泳ぎ切るスキルが得られれば怖いものもないはずです。




ひとつの情報を盲信せず、一度は疑ってかかる。
それが、自分が信頼している発信元であっても。




「ジャックス」というバンドはさらに、「ラブ・ジェネレーション」という楽曲の中でこんな事をも歌っています。




“信じたいために 親も恋人をも
すべてあらゆる大きなものを疑うのだ”

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