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青すぎる空






見ていて吸い込まれそうになります。




秋風に身をまかせ、放心。




感じるのは風の冷たさと、漂って来る金木犀の香り。




一年中で一番好きな季節です。
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あの娘はうつろ夢心地

恋をすると女性は綺麗になる。
これは医学的にもきちんと解明されている事です。




恋愛感情を感じると、女性ホルモンの一種であるエストロゲンが分泌されます。
これが女性をより女性らしく、イキイキと美しくさせる。
さらに人をポジティブにさせる神経伝達物質・ドーパミンも分泌されます。




このように、恋愛感情を持つ事は実に良い事づくめなんです。




でも。
「恋愛感情を持つ事」と「恋愛関係を構築する事」は全く別の話です。
少なくとも、私はそう考えています。




ある人に恋しても、必ずしもその人と恋愛関係になれるとは限りません。
相手の自分への気持ち以上に、状況が許さないケースはいくらでもあります。




恋愛関係も、結局は人間関係のバリエーションのひとつです。
最初こそ恋の情熱だけで突っ走っても、いつかは家族関係や友人関係と同様、人間としての信頼が持てるかどうかで継続が決まります。




そして、恋愛関係は当人同士だけでなく、周囲との関わりの中で育つもの。
つまり、自分が相手に恋愛感情を持つ事で、その相手に対して、また周囲に対してきちんと責任を取る覚悟がないのなら、恋愛感情をむやみに恋愛関係に発展させてはいけないのです。




だからこそ。




「擬似恋愛」ってのも、悪くないんじゃないかと思うんです。




イケメン俳優やアイドルにときめいて、キャーキャー言ってみたり。
アニメやゲームのキャラクターにハマってみたり。




自分や相手や周囲の人生を狂わすくらいの恋愛が出来なきゃ人として成長しないなんて、そんなのドラマや映画の中だけのお話です。
そんな経験をわざわざしなくても、人として成長出来る手段はいくらでもあります。




今の自分が守らなきゃならないものをきちんと守りながらも、常に何かにときめいている自分も大事にする。




そう考えたら、芸能人や二次元のキャラにハマるのも、何ら恥ずかしい事ではないのではないでしょうか?




ええ、ミーハー上等!!ですよ。




日常生活の中で得られる「ときめき」をたっぷり味わって、エストロゲンやドーパミンをどんどん分泌させて。
それで綺麗になれるんなら、ほんとに素晴らしい事ですよね!




私自身も、擬似恋愛の素をiPodにパンパンに詰め込んで常時携帯しております。
ほんと、今はこれがないと生きて行けないくらいです。
実際、綺麗になっているかどうかは置いといて(笑)

真性かまってちゃん

とかく、女同士の人間関係の作り方には難しいものがあります。




もちろん男性同士のそれも難しい事に変わりはないでしょうけれど、男性と女性とでは、人間関係のどういう部分を重視するのかで大きな違いがあるのは確か。




女性同士の関係は、男性以上の空気の読み合いというか、その場の雰囲気をいかに壊さずに進められるかが重要なカギになります。




その点で、有利になるのが
「同調圧力を自分から生み出す能力」
の有無です。




西洋占星術では、例えばホロスコープ上での月と金星が同じ位置にあるケース。
この座相をもつ人は、特に女性との関わりの中で自分の存在をすんなり受け入れてもらいやすい。




従って、周囲からは甘えん坊キャラとしてわがままを聞いてもらえたり、自己主張を通してリーダー的な存在になれたり。
自分に有利な関係を築いて行く上で、大きな武器になる座相です。




でも「武器」は、使い方次第では「凶器」になります。
この武器を持ち、さらにそれを完璧に使いこなせている女性は、言わば「女版・女たらし」。
この手の女性の周囲にいる人は、この女性に人間的魅力を感じ、時にはカリスマ的に祭り上げたりもするでしょう。
その女性自身が実際に善意に満ちた正しい考えを持つ人物であれば素晴らしい事ですが…。




ごくまれに、そうじゃない人物もいたりするのが恐ろしいところなんです。




黒い看護婦:Amazon.co.jp:本

2002年に発覚した「看護師四人組保険金殺人事件」。
この主犯格の女はまさしく「女版・女たらし」と言えるでしょう。
この女ほど極端なケースではなくても、常に周囲からちやほやされていないと気が済まない女性というのはどこに行っても一定数存在します。




そんな人物から精神的にも、物質的にも搾取されやすい人物というのもまた、一定数存在するものです。




搾取する側にならずとも、せめて搾取される側にはならないようにしたいもの。
そのためには何より「同調圧力に屈しない」気持ちを持つ事が必要です。




その場の雰囲気に流されて損をするくらいなら、嫌な事に素直に「嫌」と言う。
良い人だと思われなきゃいけない!という強迫観念を捨ててしまう。
KYだと思われてもいい図太さを持つ。




その程度の自己主張をして壊れてしまうような、自分が一方的に気を使わなきゃ成り立たないような人間関係だったら、いっそ壊れてしまった方がいいのです。




相手との対等な関係を作って行きましょう。
かまってちゃんの御機嫌取りで自分自身が壊れてしまう前に。

途中の行方

急に、右目に異物感。




鏡を覗き込むと。
案の定、白目部分にまつ毛が貼り付いていました。




ティッシュで何とかまつ毛を取ろうとしたけれど、なかなか取れません。
そんなこんなで悪戦苦闘していると。




まつ毛が見当たらなくなりました。




目がゴロゴロするのに耐えきれず、一回瞬きをしただけだったんですが。




昔読んだ唐沢俊一氏の著書にあったエピソード。
ある女性が、目の奥の不快感を感じて、眼科を受診しました。
すると…。




山のように出て来たそうです。
今までに抜けた、大量のまつ毛が。
眼球の裏側から。
ごっそりと。




さて、私のまつ毛の行方や如何に。




私も眼科に行った方がいいかも知れません。




なにができるかな

何かに行き詰まってしまった時。
八方塞がりになってしまった時。




そういう時にはじたばたせず、落ち着いて解決策を探る。




もちろん、そうやって問題解決を図るのに越した事はないのですが、もうひとつ良い解決方法があります。




それは、問題に向き合う事そのものをとりあえずやめてしまう事。




こんな事を言うと、卑怯だとか無責任だとか、いろいろと批判を浴びそうですが。
でも「その問題に取り組む必然性がそもそもあったのか?」というところから改めて検証し直すべき状況もあると思うのです。




「一度やると決めたからには、もう引っ込みはつかない」
こんな意地や思い込みで時間を無駄にしている人は多いのではないでしょうか。




セオリーや先入観、はたまた義務感でがんじがらめになってしまったら、何も出来なくなります。
当たり前だと信じ込んでいた事が、実は当たり前でもなんでもなかった。
この事実に気付けば、びっくりするくらいにいろんな可能性があるのがわかります。




「なんでもあり」なんです。




こんな状況下じゃ何も出来ない。
そこから発想をガラリと変える事で、出来る事が一気に増えるのです。




そう考えたら、ワクワクして来ませんか?




さぁ、これから何が出来るかな?

黒い造花の花でした

SMAPの「世界にひとつだけの花」。
名曲ですよね。




同じように、人の持つ個性の美しさを花に例えた名曲があります。
フォークシンガー・友川かずきが歌った「私の花」です。




“私の花はなんの花
艶やかなカトレアの花かな
心の美しいスズランの花かな
海の好きなハマナスの花かな”




まるで自分探しをしているような、可憐な歌詞。
こんな感じで、この後もさまざまな花の名前が歌の中に登場します。





この曲は、1997年8月1日に死刑執行された元死刑囚・永山則夫が獄中で綴った詩に、友川かずきがメロディーをつけて完成した曲です。
永山則夫がどういう犯罪者であるか、御存知ない方はこちらを御覧下さい。

永山則夫連続射殺事件




「私の花はなんの花」と問う主人公は、おそらく永山自身でしょう。
花の名前を羅列しながら、自分が何者であるかを確かめようとする永山。




そして。
歌の終わりで「私の花がありました」と、彼は自分自身の正体にたどり着きます。




それは、花の形をした、ただの物体でした。




永山は貧困ゆえに母の愛にも恵まれなかった自らの出生を呪い、まるで自己の存在証明の発露のような形で残虐な犯罪を犯しました。
その瞬間、彼はある意味「ナンバーワン」になろうとしていたのかも知れません。
貧しさの中に埋もれ、惨めな人生を送る自分を「オンリーワン」だなんて到底思えなかったでしょうから。




名もなき花がナンバーワンを目指し、その果てに花ですらなくなったという顛末。
しかも、そこでは何の罪もない人達が犠牲になってしまいました。




名もなき花が名もなき花のままでいる事を、何も恥じる事はなかったのです。




この「私の花」は、入手手段としては友川かずきのベストアルバムが一番確実なようです。
とにかくたくさんの人に聴いてもらいたい。
そんな曲のひとつです。

セミファイナル

昨日の夕暮れ、長浜公園。




さすがにこの時間帯は薄着だと肌寒い。
もうそんな季節です。




でも。
ツクツクボウシがめいっぱい、鳴いてました。
そこだけ、夏の終わりの蝉時雨。




「そういえば、今年はあまりツクツクボウシの声を聴いてなかったな…」




こんな季節になるまで地中で何やってたんだツクツクボウシ達よ。
季節の感覚がわからなくなるくらい、今の気候はおかしくなってるのか?
蝉が地中から出るのをためらうくらいの猛暑だったって事なのか?




でもきっとツクツクボウシも、地上に出て驚いた事でしょう。
蝉に取ってはこの涼しさ、おそらく繁殖どころではない大寒波。
寒さにやられて命尽きるのが先か、交尾を果たして子孫を残せるのが先か。




私が耳にした蝉時雨も、種の保存を賭けた、それこそ血を吐くような必死の咆哮だったのでしょう。




ツクツクボウシの鳴き声が残暑の風物詩でなくなるのは、ひょっとするとそう遠くない未来かも知れません。




そんな感傷に浸っていたら。
かなり足を蚊に食われてました(笑)
涼しくなったのをいい事に、そこは油断しました(笑)

教祖様はスレンダー

この間テレビでたまたま見たのですが、
「モデルやグラビアアイドルのプロフィールにある“ウエスト58㎝”は、まず嘘だと思っていい」
という話題が出ていました。
話をしていたのは、確か道端アンジェリカさんだったと記憶しています。




そりゃそうだろうな、と思いました。




ウエストを58㎝に維持しようとしたら、脂肪どころか筋肉も削ぎ落として、結構なガリガリ体型を作らないといけません。
胸もお尻もボリュームがあってウエスト58㎝というのは、マンガやアニメなどのフィクションの世界でのお話です。
手足は小枝のように細くて胸だけはHカップだのIカップだのという体つきは、全身整形でも施さない限り現実には有り得ないんですよね。




でも、そういったメディアの中の女の子のデータを疑わず「ウエスト58㎝は全女性の平均値」と思い込んでいる男性がかなりの割合で存在すると聞きました。




女性なら自分自身や他の女性達の体つきを見て、ウエスト58㎝が現実にはどれくらいの細さになるのかおおよその見当をつけられますが、男性にはそれは難しいのでしょうか。
ある意味、男性側がそれだけ女性の体というものを、必要以上に神秘的なものだと考え過ぎているのかも知れないですが。




でも、実際の事例として、自分の彼女や身近な女性のウエストサイズを知った男性がショックを受けてその女性をデブ呼ばわりし、決して太ってなどいなかったはずの女性が拒食症になってしまった…なんて事もあるようですね。
こういうケースは女性の方も自分の価値観に自信が持てなくて、男性の間違った認識を疑いもせず、それに振り回されてしまったとも言えます。
ウエスト58㎝を自称しているグラビアアイドルより、その女性の方が実際は痩せていたかも知れないのに。




そこまで極端な話ではなくても、
男「ウエスト58㎝以上の女はデブ!」→女「じゃあ私、頑張ってダイエットする!」→女、ダイエット成功→男「なんで女はガリガリになりたがるんだ?ぽっちゃりしてるくらいが可愛いのに」
…これくらいの認識のズレは、日常的によくある話です。




異性への美意識や嗜好というものは、まず自分自身が目の前の異性との生身のコミュニケーションを取るべく行動して、経験を積み重ねて行かないと確立は出来ない。
データを集めただけでそれらを全て把握した気になるのは思い上がりというものです。




もちろん、これは男性に対してだけでなく、女性にも言える事ですよね。




メディアが作る流行や絵空事に惑わされず、しっかりと地に足の付いた視点を持って欲しいと思います。
男性も、女性も。
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