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アイデンティティ

赤塚不二夫生誕80周年記念として製作されたアニメ「おそ松さん」。

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往年のギャグ漫画「おそ松くん」でも活躍したイヤミやチビ太などの名キャラクターも健在ですが、それ以上に子供時代から二十代の青年へと成長した六つ子たちが現在、アイドル的な人気を博しています。
おそ松・カラ松・チョロ松・一松・十四松・トド松の六人が時に悩み、時に共闘し、時に足を引っ張り合う日常の(ちょいちょいお下劣な)ドタバタ劇は回を重ねるごとに評判を呼んでいるみたいですね。




「おそ松くん」の頃はみんな同じ顔に同じ服(赤塚不二夫は描いた絵をコピーして切り貼りして原稿を仕上げていたそうです)で、誰が誰やらまるで見分けもつかなかった六つ子でしたが、今回の「おそ松さん」では六人ひとりひとりにイメージカラーが割り当てられている事もあって、それぞれ着る服の好みにも差が出ている様子。
そう、大人になって個性が出て来てるんです。
そしてこの個性は全く同じだった彼らの顔つきにも変化をもたらしています。
「おそ松くん」と違い「おそ松さん」の六つ子は良く見ればちょっとずつ違う顔をしてるんですね。




現実の双子のきょうだいの方も、けっこうそういうケースありますよね。
小さい頃は見分けもつかないくらいそっくりでも、成長してそれぞれ固有の人間関係を持つようになったりすると、だんだん雰囲気が変わって行くなんて事。
有名人ではおすぎとピーコのお二人が典型的です。
お二人は二卵性の双子と比べるとそっくり度のはるかに高い一卵性の双子として生まれて来られましたが、それぞれ映画評論家・服飾評論家としての地位を確立されて行くにつれ、お顔立ちも変わって行かれたように見受けられます。
個のアイデンティティがどう育って行くかによって、人は内面ばかりでなく、容姿をも変えて行けるんですね。




西洋占星術や四柱推命など、生年月日からその人の運勢を割り出す占いを総称して「命占」といいますが、よくある指摘に、
“双子など、生年月日が同じ人はみんな同じ運命を辿るのか?”
というものがあります。




答えはNo。
西洋占星術ならばホロスコープ、四柱推命ならば命式、それらの運勢図によって示される人生の道筋はひとつきりではありません。
多種多様な選択肢が内包されているのです。
「おそ松さん」の六つ子は5月24日が誕生日という設定ですが、もし六つ子のホロスコープを作成してみたならきっと六つ子たちがこれから辿るであろう人生の方向性が6人分、いやそれ以上に見出せるはずです。
その中のどの人生を選ぶかは彼ら次第なのでしょう。




そんな個性的な六つ子たちが次の回ではどんな事をやらかすのか実に楽しみ。
私はネットで視聴しているクチですが、福岡では地上波放送はやってないみたいで残念なのです。
おそ松さんファンの間では六つ子の中で、アイドルグループさながらの“推しメン”ならぬ“推し松”があって、誰が好みかによってその人の性格が反映されるのがなかなか面白くもありますね。
ちなみに私の推し松は一松です。

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春らんまん

すっかり春ですね。




桜の花ももう満開。
そして、来たる四月四日には皆既月食が観測出来るそうではないですか。
その日はどれだけ幻想的な夜となる事でしょう。
今から楽しみです。




ところで、数ある桜の品種の中で最も知られているのがソメイヨシノですが。
御存知の方も多いでしょう。
日本中至る所で見る事の出来るこのソメイヨシノ、自らの力で繁殖する事が出来ないんだそうですね。
接ぎ木や挿し木などの、人工的な手段を使う事でしか増やして行けないんだそう。




つまり元々一本の木から派生した「クローン」なんですね。
よってDNAも全て同じ。
こういう、一見自然なようで自然でない存在の仕方を好ましく思わない人も多いようですね。




でも、考えようによっては。
もしソメイヨシノが意識や自我というものを持っていたら。
日本中に植えられているソメイヨシノは元々同じ一本の木なのですから、意識や自我も共有しているかも知れない。
自分達が植えられている場所から見える、日本中のあらゆる景色。
自分達の周囲で繰り広げられる様々な出来事。
一本一本のソメイヨシノが得た記憶は、日本中全てのソメイヨシノの記憶となっているかも知れない。




ソメイヨシノという桜は、日本のアカシック・レコードである。




荒唐無稽ですけど、そんな空想に浸ってみるのも楽しいものです。




まぁ、とりあえずはこの桜の季節を大いに楽しみましょう。
花見酒には、さてどんなお酒が合うかしら?

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破壊と創造

最近、パール系のアクセサリーがトレンドのようですね。




元々流行り廃りのない素材ですが、フォーマルなシーンやフェミニンなファッションくらいにしかコーディネート出来なかった以前と比べて、カジュアルなスタイルにも合わせやすいデザインになっていたりして使用頻度が高い定番アイテムになっているようです。




その中でも私がお気に入りなのが「コットンパール」という素材。
軽くて独特の質感があり、これを使うとアンティークな雰囲気のアクセサリーに仕上げる事が出来ます。
普通の安価な樹脂製のパールビーズと違ってお値段は少し張りますが、それでもお洒落度はグンとアップ。




そんな流行りに乗っかって、私もコットンパールを使ったネックレスを作ってみました。





相変わらず写真が下手糞でコットンパールの質感はいまいち伝わらないかもですが(笑)




ところで、いざアクセサリーのハンドメイドに挑戦しようとなると、意外と材料費がかさみますよね。
作りたい物のデザインによっては、既製品を買った方が安上がりだったりして(笑)




そこで考えたのが、その既製品を利用する方法。




つまり、既製品で安価な物を買って、それをバラしてしまうのです。
300円均一のショップで売っているようなアクセサリーであれば手芸店で個包装されて売っている物と素材自体は同じですし、計算すればそちらの方が安く上がるんです。





と、ここで私はふと気付きました。




もしかしたら私はコストダウンのためというより、わざわざ完成された製品を買って、それをバラバラにするという行為自体を楽しんでいるのかも。




皆さん御存知のように、タロットカードには「死神」という禍々しいカードがあります。
タロット占いにおける死神のカードの出現は、必ずしも不幸を意味するものばかりではありません。




その人のためにならない悪い習慣や因縁、あるいは思考の囚われ。
その人が前に進むために邪魔になるそれらのものがバッサリと切り捨てられる時、死神のカードは現れます。




何かを破壊して、そこから新たな何かを創造する。
人間が前向きに生きて行くためには必要なプロセスです。




そのプロセスが、死神のカードに凝縮されているのです。




たぶん私自身も、買って来たアクセサリーをわざわざバラバラにするという一見無意味な行為に没頭する事で、死神の破壊の創造のプロセスを疑似体験しているのかも。




まぁ、スケールのちっちゃい疑似体験ですけどね(笑)




地面が揺れる

3月14日。
この日は、もちろん。




皆様御存知ですよね?




そう!
ふんどしの日です!

何故ふんどしとシルバニアファミリーはこんなにも相性がいいのか。 - NAVER まとめ




すみません。
少しふざけてしまいました。




この3月14日に日付が変わったばかりの午前2時。
呑気に夜ふかししてタモリ倶楽部なんかをダラダラ見ていた、その瞬間でした。




いきなり携帯からけたたましく鳴り響いた警告音!
テレビにも赤い文字のテロップが!




突然の事態にパニクっていたら。
ゆらり…
ゆらり…
ゆらり…
ゆらり…




福岡地方はおよそ震度3ほどの揺れだったようです。




2005年の、あの日もやはり3月でした。
それまで大きな地震とはまるで無縁な生活を送って来た福岡の人間が、震度5強なんていう過去にない揺れを体験。
天神ビルの窓ガラスが全て粉々になって、雨のように歩道に降り落ちる映像は、その衝撃度から全国のニュースでも何度も取り上げられました。




地震にまるで耐性のない人間に取っての震度5強の揺れのショックもさる事ながら、さらに私が苦しんだのはその後の余震でした。




確か震度1~3くらいの微妙な揺れが一ヶ月くらいは頻発していた記憶があります。
次第に揺れている時といない時の体感が良くわからなくなり、揺れていなくても年中地面が揺れているような感覚になり…
早い話が、自律神経をすっかりやられてしまったのです。




昨晩の揺れで、あの時の不快感がまた蘇ってしまいました。
地震警報でパニクっていたのも手伝って、めまいに吐き気、止まらない動悸、軽い過呼吸まで出る始末。




こんなに脆弱なメンタルの人間が、阪神大震災や東日本大震災クラスの巨大地震に出くわしたら廃人になってしまうかも知れません。




いやいや。
実際にそのような大災害に遭遇したら、きっと「廃人になるかも~」なんて甘えた事を言ってる場合じゃないでしょう。
そんな事を考えてたら、一緒に避難する人の足手まといになるだけです。




命の危険を感じるような事態に遭遇した時にまず、どういう行動を取るべきか。
頭の中でシミュレーションをしてみるのも悪くないのではないでしょうか。
もちろん、万が一の事が起こってしまえばシミュレーション通りに行くはずなどない事は承知の上で。
少なくとも、過去に起こった悲惨な災害がこれから先、自分に降り掛かって来ない保証はないという事を自覚するだけでも意味はなくはないと思います。




そういう事をあれこれ考えていると、頭をよぎるのはやはり、三年前の悲劇を乗り越えようと現在進行形で頑張っておられる東北の方々。
その、復興へ向けての地道な努力が早く報われる事を願ってやみません。




一刻を争う状況下で、まずは何をすべきか。
何を守るべきか。
何を捨てるべきか。




平穏な生活を続けていられる事の有り難みを噛み締めつつも。
「もしも」の時の心構えを忘れないようにしたいものです。




そう、締め直すのです。
心の中のふんどしの紐を。

僕らはもう帰れない

確か、昔こんなCMコピーがあったような。




“時は流れない、それは積み重なる”




ウイスキーか何かのCMでしたっけね。




昨日の自分。
おとといの自分。
それはもう、今の自分ではありません。




でも。
今の自分は昨日の自分、おとといの自分が存在したが故に成り立っています。




つまり、自分というものが今の瞬間この世に存在する以上、自分が積み重ねて来た過去も全て背負わなければいけないという事。




過去に帰って、その時点での自分を抹消したりは出来ないのですから。




フィギュアスケートの高橋大輔選手まで巻き込んでの大騒動になってしまった、例のゴーストライターの一件。
あの話の一連の流れを見ていると、そんな事を考えてしまいます。




一度嘘をついてしまったら、次にどういう行動を取るか。
嘘が嘘であったと明らかにするか、嘘が嘘だと露呈しないような工作を施すか。
この二者択一です。




夢野久作の短篇集「少女地獄」にもこのようなエピソードがありました。
最初についた嘘を嘘にしないために、更なる嘘をつく。
嘘が嘘である事実を否定して、ついた嘘の方が真実であろうとする。




これを延々繰り返せばどうなるか。
もはや、パラレルワールドの形成に近いものがありますよね。




そうやってパラレルワールドの住人になってしまうのも良いでしょう。
その代わり、今の自分は確実に消滅してしまう事になりますが。




あの作曲家も、自分が自分でなくなってしまう前に今までの嘘が露呈して、結果的にこれで良かったのではないでしょうか。
どっちみち過去にしでかした事をどこかでちゃんと背負わなければならないのです。
背負う荷物は出来るだけ軽い方がいいに決まっています。




多かれ少なかれ、私達も荷物を背負って生きています。
時には荷物の重さに耐えかねる事があるかも知れません。
でも、その荷物をないがしろにさえしなければ、いつかどこかでその荷物が自分を助けてくれる事もあるんじゃないでしょうか。




そう考える方が、よっぽど楽なような気がします。
だって過去には帰れないんですから。

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